六拾参番 暴力性に注意 サイコパス荒三位

【63番目のうた】

今はただ思ひ絶えなむとばかりを
人づてならで言ふよしもがな

【意訳】

今はもう、あなたへの想いをあきらめてしまうしかないのだけど
それだけは人づてにではなく直接逢って言う方法があれば。

【作者 左京大夫道雅 さきょうのだいふみちまさ】

藤原道雅。祖父は関白藤原道隆で溺愛された。祖父が早くに亡くなり、政争により父の藤原伊周が失脚。不遇ではありましたが、次々と反社会的な事件を起こし「悪三位」「荒三位」と呼ばれました。敦明親王の従者を拉致して、自宅で従者の髪を掴んで周囲の者に打ち踏ませ、瀕死の重傷を負わせ、謹慎処分。また伊勢斎宮の務めを終えたばかりの当子内親王と密通してしまいます。これを知った当子内親王の父、三条院は激怒し、二人は別れさせられ道雅は更迭。さらに花山法王の皇女が強盗にあい拉致され、身ぐるみはがされ道端に放置され、凍死、さらに野犬に食べられるという恐ろしい事件がありました。この強盗が捕まったのですがどうやらそれを指示したのが道雅だ、と強盗が自白したそうです。道雅が、亡くなった皇女を口説き落とせなかったため、腹いせに強盗に襲わせたというのです。あまりの出来事に真偽のほどは曖昧なまま幕を引かれますが、その後、道雅はこれといった理由が明かされないまま職を解かれます。

【味わい】

この歌の相手は当時、15歳ほどであった伊勢斎宮の務めを終えたばかりの当子内親王です。伊勢斎宮といえば、皇女であり神に仕える身でしたので、身分の差としてもNG、神聖さを冒涜する意味でもNG。しかも男はかつて暴力沙汰を起こした没落貴族。道雅としては「二人の純愛をつまらない大人が邪魔した」というつもりかもしれませんが、この当子の立場と道雅の悪評からすると、三条院が怒るのも無理はありません。そして2人は別れ、当子は出家して、6年後に若くして病死します。

 

 道雅は父の失脚や、一家の没落、引き裂かれた恋ゆえに、荒三位と呼ばれるほどの蛮行を行い続けたという見方もあります。が、同じような目にあっている貴族は他にも多くいて、皆、ふてくされたり、悲しんだり、出家したりはするものの、ここまで暴力にうったえる人はいないわけです。

さらにこの歌のメッセージ「最後に、直接会って伝えたい」。これはまさにDV男の常套句です。DV被害者が必死に逃れようとしていると「別れるにしても、もう一度、ちゃんと話し合おう、そして納得して終わりにしよう」と相手の誠実さに訴えかけてなんとか直接会おうとします。これは「きちんと別れる」ためではもちろんなくて「直接会えば、言いくるめることができる、再び支配下における」からなのです。別れると決めているなら「直接会って別れを伝える」ことに本質的にどこまで意味があるでしょうか?それを感傷的に解釈することもできますが、当子の今後を考えたらこんな句を送ってくるのも迷惑でしかありませんし、自分勝手の極みです。それでも送りつけてくるのは、道雅の当子本人と周囲の者含めての懐柔作戦だったという見方もできます。

【ご宣託】

これは百人一首のなかでも残虐性、暴力性、嗜虐性、ある種のサイコパスを表す一句といえます。こういった特徴が被害者意識から生じている場合もあるので憐憫の情がわくのも無理がありません。が、実際、そういった気質の人を目の前にしたとき、これといった覚悟もなくいたずらに同情していては、知らぬ間に巻き込まれて自分が被害者となるだけです。注意が必要です。パワハラモラハラ、DV、そういった類に気をつけてください。また、あなた自身はすでに巻き込まれていて、自覚がないだけかもしれません。もしなんらかの苦しさや痛みが生じている場合、一度、人間関係を冷静に見つめてみるのが必要です。