五拾七番 物事の終わりの予兆。死が訪れた後には、再生が待っています。

【57番目のうた】

めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に
雲がくれにし夜半の月かげ

【意訳】

あなたにめぐり逢い
あなたという人を確かめたくてもできないうちに
あなたは亡くなってしまった。
夜更けの月影が雲に隠れてしまうほど、わずかな間に

※一般的には「久しぶりに会えたのに、あなたかどうかわからないうちに行っちゃった」という解釈です。

【作者 紫式部 むらさきしきぶ】

藤原為時の娘。幼い頃、兄が読んでいた「史記」(中国の歴史書)をたちまち暗記し、兄の間違いまで指摘してしまったほどの才女。大弐三位の母。夫に先立たれた後、一条天皇中宮彰子に出仕。その傍ら「源氏物語」五十四帖や「紫式部日記」を記した。

【味わい】

詞書には、幼友達と久しぶりに逢ったが、ほんのわずかの時間しかとれず、すぐに帰ったので詠んだ、と紫式部が書いています。実際に紫式部は「友達とすれ違ったけどあんまり話せなくて残念」という単純な感想として、さりげなく詠んだだけなのかもしれません。

しかし、百人一首の選者、藤原定家紫式部ほどの文豪の一句に、詞書通りの意味でこの句を選んだのでしょうか。そんなわけないと思います。藤原定家は歌単独の優秀さだけではなく、歌い手の生きざまを反映させた句を選ぶ傾向にあります。

ヒントは源氏物語にあります。源氏物語五十四帖のなかには一帖だけ、本文がなくタイトルだけの巻があります。そのタイトルが「雲隠」。光源氏が亡くなったことを表す巻です。もともと本文があったのか、なかったのかもはっきりわかりませんが、「これを読んだ者たちが世をはかなんで次々と出家してしまったため時の天皇の命により内容を封印し、焚書処分にした」とする伝承が記録されています。

そんないわくつきの「雲隠」の巻と、その作者が詠んだ句の「雲がくれ」が無関係なわけがありません。少なくとも選者定家は、光源氏の壮大な物語を意識して、この句を選んでいるはずです。ですのでこれは光源氏を背負った一句として解釈したいのです。

【ご宣託】

物事が急展開し終わりが近づいている兆しです。良くも悪くも、今の状況は終わります。しかし、現状の終末は、これからの未来の始まりでもあります。

この終焉を認めたくない気持ちもあると思います。もしくは心の整理が必要かもしれません。喪の作業(喪失体験を受け入れ、立ち直っていく心理的な過程)を取り入れても良いでしょう。しかしそのあとには真っ新な始まりが待ち受けていることをお忘れなく。