五拾六番 生涯思い返すだろう奇跡の時。あなたがいなくなってしまっても、それは幸せな思い出の小箱。

【56番目のうた】

あらざらむこの世の外の思ひ出に
今ひとたびの逢ふこともがな
 

【意訳】

私の命はもうすぐ尽きてしまう。
この世にはいない思い出のあの方に
もう一度、お逢いしたい
 。

※一般的な解釈は「この世の思い出に、もう一度だけあなたに逢いたい」です

【作者 和泉式部 いずみのしきぶ】

和泉守の橘道貞の妻となり、娘 小式部内侍をもうけるが、冷泉天皇の第三皇子である為尊親王と禁断の恋に落ち、宮廷の大スキャンダルとなる。身分違いの恋として親からも勘当される。が、為尊親王は出会いから1年足らずで急死してしまう。為尊親王の死後の翌年、その同母弟である敦道親王の求愛を受ける。この求愛は熱烈を極め、親王は式部を邸に迎え、結果として正妃が家出するに至った。敦道親王との間に一子を授かるが、兄と同じく、敦道親王も4年後に早世していまう。服喪を終えた式部は、娘 小式部内侍とともに一条天皇中宮藤原彰子に女房として出仕する。

【味わい】

和泉式部は、身分や巷の人間関係など全て無視して、ひたすら情熱の恋に邁進します。和歌にもその特徴がでていて、魂からわきでてくる感情をストレートに歌で爆発させられる才能の持ち主でした。神はその稀有な才能を最大限に引き出そうとしたのか、彼女は次々と悲しい別れにおそわれる人生でした。

娘 小式部内侍にも先立たれ、晩年は出家し、仏教に傾倒していきます。この歌が詠まれたのは亡くなる前ごろです。彼女はスキャンダラスな「浮かれ女」(藤原道長がつけたあだ名)というイメージですが、尼になった晩年までも「冥途の土産に一発やりたい」と願っていたでしょうか。それはそれで性愛の執念じみたものがあってカリカチュアライズされた和泉式部とは合うのかもしれません。しかし、私はこの歌は、一人生き残り、年老いた和泉式部が床に臥せながら、若くして亡くなっていった愛しい人々との美しい愛の日々を思い出し、極楽にいけば、もう一度、逢えるのだろうか、逢いたい、逢いたいと願ったのではないかと私は思うのです。

【ご宣託】

自分の命はもう長くないと感じた時、あなたは自分の人生をどう振り返るでしょうか。幼い頃、描いていた空想のような夢物語をそのまま叶えた人は少ないはずです。あの願いは叶ったが、この願いは叶わなかった。いや、運命の波にただ翻弄されて、生きるのに必死だった。気づけば命が尽きようとしている。

それでも、どなたにでも記憶のなかにとっておきの小箱があるはずです。幸せで楽しくて美しい奇跡のような思い出が詰まっている小箱。決して忘れられない場所や時間。そのとき一緒に時をわかちあった人はもう傍にいないかもしれません。傍にいたとしても、まるで違う人になってしまったり、願っもう会えない人もいるでしょう。だけれども、その記憶の小箱は、決して誰にも奪えないのです。あなたが心で大切に保管して、ときおりそっと蓋を開ければ、色あせることなく、それどころか時を経るにしたがってより美しく蘇ります。

そんな思い出を大切にしてください。それは人生の宝です。たとえビターエンドな結末であっても、あのとき自分が過ごした時間は本物です。

もしくは、今、あなたはそんな一生忘れえぬ時を過ごしているのかもしれません。そんな瞬間に心から没頭してください。人生は思ったより短いものです。