七拾番 寂しさを見つめてみて。

【70番目のうた】

寂しさに宿を立ち出でて眺むれば
いづこも同じ秋の夕暮れ
 

【意訳】

寂しさに家を飛び出してあたりを眺めると
どこも同じ秋の夕暮れだった
 

【作者 良暹法師】

比叡山の僧侶。

【ご宣託】

この歌は良暹法師が比叡山をおりて、京都の大原に居をかまえたときの歌です。

若い時は、誰かがそばにいてくれれば孤独は埋まるものだと思っていました。痛みに近いような寂しさが和らぐのではないかと。しかし実際は再び一人になれば、より一層の寂しさや孤独が襲ってきます。一時はそばにいる誰かが鎮痛剤にはなってくれるかもしれませんが、根本的な治療とはならないのです。痛みから逃れるように「孤独」を避けていると今度は誰かといても「寂しさ」を感じるようになってしまいます。

もし「寂しさ」の治療があるとすれば、自分の寂しさをじっと見つめることです。寂しさを感じている自分を認めましょう。寂しいからといって別にあなたは不幸なわけではありません。人は寂しいものです。真の意味で自分に寄り添ってあげられるのは自分だけです。自分を自分で甘やかしてあげましょう。そうしているうちにいつの間にか寂しさは去っていきます。

六拾九番 金運、財運アップの兆し。豪華絢爛な体験ができそう。

【69番目のうた】

嵐吹く三室の山のもみぢ葉は
龍田の川の錦なりけり

【意訳】

山風が吹く三室山の紅葉は竜田川の錦だ

【作者 能因法師

遠江守忠望の子で、藤原長能に歌を学び、歌に集中すべく出家をしました。当時は屏風などに描かれた絶景を見て、歌うことも多かったのですが、能因法師は自分の目で実際に見て歌を詠みたいと東北や中国地方、四国へと旅に出かけ、各地の歌枕の解説書「能因歌枕」を著しています。

【味わい】

竜田川はそれほど川幅の広い川ではなく、秋になると両川岸が紅葉に挟まれます。強い嵐のような風が三室山に吹き荒れ、紅葉が次々と川面に落ちて流れていく様は錦のように豪華絢爛な絶景だったことでしょう。

「美しい紅葉と川」という非常にストライクなテーマのこの一句。特にひねりがないとはいえますが、この作者は当時では珍しく「絶景は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんだ」派のガチの漂流歌人だったからこそ、この直球すぎる歌に説得力が出ているのだと思います。

【ご宣託】

金運や財運が上がってきています。紅葉が風に吹かれて舞い落ちるように、あなたの懐にもお金が入ってくる兆しです。収入が上がったり、臨時収入が得られることもあると思います。投資なども今のタイミングは吉です。直接的にお金が入ってこなくても、とても絢爛豪華でゴージャスな経験をする機会が増えると思います。

とはいえ、紅葉の季節と同様、それほど長くは続きませんので、機会をとらえつつ、あまりに調子に乗らないように気をつけてください。

六拾八番 

【68番目のうた】

心にもあらでうき世にながらへば

恋しかるべき夜半の月かな

【意訳】

心ならず現世で生きながらえたならば
恋しく思い出されるに違いない、この真夜中の月が。

【作者 三条院】

三条天皇。1011年に即位するが、藤原道長が自分の孫を即位させるべく、三条天皇に対し執拗な嫌がらせを続けます。眼病をわずらった三条天皇が祈願に行こうとするところを、高官たちに圧力をかけ、祈願行きを7回も阻止します。また内裏が二度も火事になり、落ち込んでいた三条院に対し、道長はいよいよ眼病を理由に退位をせまりました。1016年に三条天皇は退位、翌年に亡くなっています。

【味わい】

この歌の詞書には「病気で退位を決めた頃、月が明るいのを見て」とあります。「夜半」というのは真夜中の意味ですが、真夜中に明るい月といえば満月ですね。眼病であまり見えなくなった視力で明るい満月を見上げて、生きながらえたならばこの月がいつか恋しく思えるだろう。とかすかに希望をつないだわけです。

さて三条院に執拗な嫌がらせをした道長に有名な句があります。
「この世をばわが世とぞ思ふ 望月のかけたることもなしと思へば」
政敵である道長三条天皇は同じ満月を見あげながら、一方は「この世はわが世じゃないか」とうたい、一方は「心にもなく生きながらえたなら」とうたったわけです。そして三条院は残念ながら生き長らえることなく亡くなってしまいます。その短い余生で、彼は満月を見て恋しく思い出せたのでしょうか。

【ご宣託】

試練が待ち受けています。しかもこの試練はしばらく続き、あがいてもあがいても、むなしく運命の歯車は回り続けます。しかしこの試練もいずれは過去になります。いつかは終わるのです。あなたが望んだ結果ではないかもしれませんが、それでも人生は続いています。新たな希望を見出すことが、あなたの人生を照らす唯一の灯です。

六拾七番 甘くて儚い恋の予感

【67番目のうた】

春の夜の夢ばかりなる手枕に
かひなく立たむ名こそ惜しけれ

【意訳】

春の夜の夢にすぎないあなたの腕枕のせいで
噂がたったらつまらないわ

【作者 周防内侍】

周防守の娘で代々天皇に女房として仕えました。女房三十六歌仙のひとりで「周防内侍集」を残しています。出家後の1109年頃、70数歳で病のため亡くなったとされています。

【味わい】

詞書:二月の月が明るい夜、二条院にて人々が夜を明かしてお話をしていたら、周防内侍が何かによりかかって「枕ないかしら」とつぶやいたのを聞いて、大納言忠家が「これを枕に」と、御簾の下から自分の腕を差し出し、それに対し周防内侍が詠んだ歌です。

当時は家族や恋人以外の男女は御簾で仕切られていたわけですが、その男女の境であるはずの御簾を越えて、いきなり腕をニョキッと差し出してきたのですから「きゃぁ~!」みたいな女房たちの嬌声が聞こえてきそうです。大人の貴族のくせにイタズラしてるわけですね。そこに「枕ないかしら」とつぶやいた張本人の周防内侍が、たしなめつつも色っぽい返しをしています。「春の夜の夢」は儚くも甘い響き、さらに「かいなく」の「かいな」は腕を意味しているオジャレ感。短歌はダジャレが多いほど素晴らしいとされていますが、そのダジャレがオシャレなときは「オジャレ感」がさく裂します。まさにこの歌は甘く儚いオジャレ感でもって、その楽しい月夜を彩っています。

【ご宣託】

儚くも甘い恋の予感です。春の夜の夢のように長くは続かない可能性が大きいですが、それはそれとして美しい記憶として残るかもしれません。ただし、変な噂になってしまうかもしれないので、それは気をつけてください。

六拾六番 孤独と厳しさのなかで貫く意思

【66番目のうた】

もろともにあはれと思へ山桜
花より外に知る人もなし

【意訳】

共に愛しく思っておくれ、山桜。
私には花より他に知る人もいないのだから。

【作者 前大僧正行尊】

敦明親王の孫で参議従二位源基平の息子です。10歳で父を亡くし12歳で出家、円城寺で密教を学んだ後に大峰や熊野などで厳しい修行を行いました。1107年に鳥羽天皇の即位とともに護持僧に選ばれ、その後歴代の天皇の病気を祈祷で治したりして、「験力無双」と誉めそやされています。その後は円城寺の大僧正となり、81歳で亡くなるまで歌人としても名声を得ました。

高貴な身の上ですが、早くに父を亡くし12歳で出家、円城寺で密教を学んだ後に大峰や熊野で厳しい修行を行います。病気を治したり悪霊を退散させる加持祈祷で効果をあらわしていたそうです。

【味わい】

 この歌は山で修業をしていた行尊が、台風で折れた山桜を発見して歌いました。もろともに~の前に歌われているのが
折りふせて後さへ匂ふ山桜 あはれ知れらん人に見せばや
台風で折りへしられても、花を咲かせている山桜。人に見られるわけでもないのに立派に咲いている。

その頃、行尊は、延暦寺に自分の円城寺を焼かれてしまった後でした。まさに「折りふせられた」状態だったのです。寺を再建すべく、山々を歩いて托鉢をしていますが、」非常に孤独で厳しい道のりです。さらに誰からも評価されない。しかし風に倒れて、孤独でありながらも春に花を咲かせた山桜と出会ったときに、自らの姿を重ね合わせた歌なのです。

【ご宣託】

今、あなたが挑んでいる戦いは非常に孤独です。人に理解されにくく、助けを得るのも難しいでしょう。さらに非常にストイックさが必要で、生半可な意思では完遂できません。しかし、今、あなたが行っていることは必ず、花を咲かせ実を結びます。どうか自分と自分の道を信じて前に進んでください。

 

 

 

六拾五番 恨んで恨んで朽ちていくあなたこそ惜しい

【65番目のうた】

恨みわびほさぬ袖だにあるものを

恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ

【意訳】

恨みに恨んで涙に濡れる袖を干す間もないのに
さらにこの恋のおかげで浮き名がたって
私の評判が朽ちていっては悔しすぎます。

【作者 相模】

相模の名は最初の夫、大江公資が相模守だったことから由来してます。

大江公資と別れたのちに、藤原定頼や源資道と恋愛します。

 恋愛ではなかなかうまくいきませんが、赤染衛門紫式部と並ぶ女流歌人として高く評価されています。

【味わい】

 つらい恋の涙を拭いて袖が朽ちていき、さらには私の評判までが朽ちていく・・・。涙を拭きすぎて袖が朽ちていくというのも、台所の雑巾ではあるまいし、どれだけ酷使したんでしょうか。さらに自分の評判が落ちるのではなく「朽ちる」のですから、その情念の深さたるや、並々ならぬものがあります。そういった誇張表現が面白い一句ですね。

【ご宣託】

 目の前のつらいこと、嫌なこと、負の感情に振り回されすぎています。悲しむことで、受けたショックを受け止め、自分のなかで整理をつけることは大切な精神活動です。
しかし、あるできごとを自分のなかで繰り返し反芻し続けると、いつしか「ひとつのできごと」以上の意味づけをしてしまいます。「体験したできごとのひとつ」としてではなく「特別なできごと」に意味づけることで、忘れる、過去にすることができぬまま、自分自身を延々といつまでも傷つけることにつながりがちです。

どこかで区切りをつけることが大切です。恨む相手を許す勇気をもちましょう。そうすることで解放され救われるのはあなた自身なのです。

六拾四番 暗闇が少しずつ少しずつ明るくなっていきます

【64番目のうた】

朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに

あらはれわたる瀬々の網代

【意訳】

夜が明けて少しずつ明るく
宇治川の川面にかかる朝霧も少しずつ薄らぎ
やがて
川瀬に打ち込まれた網代木が姿を現してきました。

【作者 権中納言定頼 ごんちゅうなごんさだより】

藤原定頼。家族や元カノが百人一首に選ばれています。


お父様である大納言公任。

 

小式部内侍をからかった藤原定頼の歌がきっかけで

小式部内侍は非常に優れた歌を返したことにより百人一首に選ばれています。

また相模とも恋愛関係にあったとされています。


書や管弦が上手い趣味人で、正二位権中納言にまでなりました。

【味わい】

 冬の夜明けにうつろう時の風景を味わう歌です。ほんの少し前までは夜の暗闇におおわれていた世界に、前触れもなく静かに少しずつ光が射してきます。やがて川面に漂っていた霧も少しずつ消えていき、さきほどまでは見えなかった網代木(魚を捕る仕掛けの木)が現れてきます。美しい時の流れの情景ですよね。

網代木は川面にぶっ刺さっているただの木の杭なので、なにが風流なのか現代人にはわかりませんが、平安の人々は好きで、度々登場します。現代人に置き換えるとなんなのか考えてみましたが、海辺にどかんと置いてあるテトラポットはどうでしょう。よく歌に歌われますよね。網代木もテトラポットも人工的で、形状に美しさを感じづらいものの、なぜか「風流な気がする」存在だと思います。

【ご宣託】

 なかなか進展しなかった事態は、少しずつ動きだします。膠着してしまった関係も、絡まった糸がほどけるように、少しずつ少しずつ変わっていくでしょう。ここで焦ってはいけません。静かに事態を見守ることが肝要です。全て解決とはいきませんが、すこしずつ糸口が見えてきます。